さっちゃんの雑記帳

病気、仕事、虐待の経験をだらだら書きます

「今」の「私」に焦点をあてるということ

 

この1ヶ月、約20冊の本と、大サイズのゴミ袋約10袋と、ダンボール3つくらい、不用品を処分した。

 

それなりに掃除もマメにして、清潔に生活しているつもりではあったけれど、

自分でもびっくりするくらいいろんなものを手放した。

 

衣類、書籍、雑貨、鞄、ぬいぐるみ、etc...

 

いわゆる「断捨離」にすっかりハマってしまって、ミニマリストシンプルライフをされている方のブログをはじめ、断捨離をうたう生活雑誌や本を読みあさり、クローゼットの中をひっくり返してはゴミ袋に詰める、を繰り返した。

 

だいぶ、部屋も気持ちもスッキリした。

 

意外と、片付け本や断捨離本には、心理的な側面のことも多く書かれていて、共通して「今の自分に必要なものを見極める」といった言葉がよく出てきた。

 

今、読むか

今、着るか

今、食べるか

今、そばに置きたいものか

 

実は、「今」の「私」に必要なものって、想像以上に少なくて、

 

ああ、私はこんなに身軽になっていいんだ

 

と思えたら、だいぶ肩の荷が降りたような気がした。

 

 

実は、休職してはじめの1、2ヶ月は、TOEICの勉強をしたり、仕事に関係する専門書籍を買ってノートにとってみたり、リワークの見学に行ったり、

 

本来であれば「好きだけ寝て、好きなことだけする」必要のある時間に、予定を詰め込んで生活していた。

(実際に手帳を見返すと真っ黒になっていた、休職しているのに!)

 

どうしても、「仕事できない=社会的に存在価値がない」という思いを拭い去ることができなくて、相当焦りを感じていた。

 

自分が休んでしまったことでかけてしまった迷惑を早く復帰して挽回したい

足りなかった知識を身につけて時間を無駄にしたくない

早く元気になりたい、早く役立たずから抜け出したい...

 

でも、その気持ちには、「今」の自分の状態を冷静に観察する視点がなかったし、「私」が私の存在を認めてあげる余裕もなかったんだよね。

 

顔の見えないだれかの視線や評価が怖くて、

動かないといけない

戻らないといけない

これを、あれをやらなきゃならない

 

と、追い立てられていたことに、気づいた。

 

仕事を休みはじめて7ヶ月が経った。

今は英語の勉強も片手間だし、専門書は開いていないし、休みはじめた頃に比べたら、だいぶマシになってきたと思う。

 

時々、「もう大丈夫かも!仕事できるかもしれない」と思えることがあって、自分に期待してしまうことすらある。

 

でも先日、会社のホームページを見たら急激に具合悪くなって、翌日寝たきりになってしまった。

自分でもびっくりして、具合悪くなったことがとてもショックだった。

 

少し立ち直るのに時間がかかったけれど、

でもきっと「まだだめ」って体が訴えてきているのかもしれない。

今はまだ休みが必要なんだ、って考え直せた時、

「ああ、少しは今の自分を大切にしようと思えるようになったのかもしれない」と、ちょっとだけ前向きになれた。

 

現実には、休んでいることで他の方にしわ寄せがきている、それは紛れもない事実だし、そこを無視はできないけれど、

 

少なくとも、今の私には時間が必要で、だから今こうやって自分を見つめ直しているんだ、って、断捨離を通して学んだ1ヶ月だったかな。

 

そろそろ捨てるものがなくなってきたので、また何か新しいことをぼちぼちはじめたいな。