さっちゃんの雑記帳

病気、仕事、虐待の経験をだらだら書きます

ありふれているから「普通」でしょうか

気持ちが落ち込んでしまうので、テレビや新聞はしばらく見ないようにしているけれど、

 

それでも、視界に飛び込んでくるニュースはある。

 

ものすごく悲しいニュースだった。

悲しいよりもずっと深く、胸の奥を抉り取られるような苦しさがある。

その奥からどんどん憎しみが沸き起こる。

 

また、児童虐待で子供が亡くなってしまった。

大人の身勝手な都合で、感情で、理由で。

 

彼女は、きっとものすごく勇気を振り絞って、アンケートに書いたんだと思う。

渦中にいる人が助けを求めることがどれだけ辛いか、想像してもしきれないけれど、

「助けて」と必死に声をあげたのに、藁にもすがる思いだったろうに、

 

それを無碍にした大人がいる。

よりによって、(少なくとも名前だけは)教育現場のプロフェッショナルが。

 

「威圧的な態度に恐怖を感じて、屈してしまった」と、市教委は取材に答えたそうだ。

 

激しい言葉はここに書いても仕方がないけれど、

本当に許せない。許せない。許せない。

 

当人が、その恐怖に毎日晒されていると、なぜ思い至らなかったのか。

父親の態度に接して、どうして状況を察知することができなかったのか。

 

他にもいろんな不遇が重なってしまったように思う。

沖縄での児相の対応、長期休暇に不信感を持たなかった小学校、

全てのニュースを追えていないし、見るのも辛くて苦しいんだけれど、

 

何れにしても、「虐待」に対する危機感のなさに、本当に苦しくなる。

 

親が「しつけだ」と言えば、どんな対応も許されるんだろうか。

少なくとも、親が「見せろ」と言えば、子供のアンケートもおおっぴらにされることはわかった。

誰かの「一時しのぎ」で、一人の命が軽んじられたんだ。

どうやって責任を取るんだろうか。

 

虐待の通告件数は、年々増加傾向にあると、新聞の見出しになんども載っていた。

それだけ、表面化の可能性が上がったのは、歓迎するべきだとは思う。

 

でも、一方で、件数が増えたことによって、むしろ一件一件が軽んじられてはいないだろうか。

「また虐待だ」と、横流しにしている人たちが、行政も民間も関係なく、増えていっているような気がする。

 

ありふれているから、この程度はしつけレベルだから、よく聞く内容だから

「だから大したことない、普通のことだ」

と、なってしまっていないか。

 

子供にとって、親は絶対だ。

小学生ならなおさら、親は絶対的な権力を持つ存在に見えているだろう。

多少の暴力や威圧は、当人だって「しつけ」と捉えてしまっているかもしれない。

 

そんな中、彼女は「お父さんにぼう力を受けています」と、はっきり言ったのだ。

それが、一体どのくらい苛烈な虐待だったのか、とても想像できないけれど、

まさか、こんなはっきりとしたワードですら、

「子供の被害妄想」とでも、思ったんだろうか。

 

苦しい。今自分は何もできない状態で、自分のことで精一杯で、

助ける術も何もないけれど、

この怒りの感情だけは大切にしたい。

 

心より、ご冥福をお祈りします。