鬱と診断されてから、退職までのあれこれ
「あなたはこの仕事はよした方がいい」
2019年7月初旬、復職判定面談の時に産業医に言われました。
「双極性障害で、幼少期の虐待による複雑性PTSDも抱えている。ましてや橋本病の数値もかなり悪い。ストレス過多なこの業界は、あなたにとって一番避けるべき環境です」
そう言われた瞬間に「ああ、私はやめるしかないんだ」と悟りました。
学生時代にバイトで就活費を捻出して、貯金が底をつく直前になんとか滑り込んだ会社でした。
憧れの仕事で「頑張ってのし上がってやるぞ」と気概を持って入社したものの、職務内容は過酷の一言で、体が耐えられませんでした。
若手は使い放題の一兵卒として、突然の出張や休日の呼び出し、夜明け前の出勤もざらでした。
業界としては避けられない働き方であることは覚悟していたものの、徐々に体が悲鳴をあげるようになって、頭が回らなくなって、疲労感と焦燥感で涙が止まらなくなって、ついに家から出られなくなりました。
鬱と診断されて時短勤務措置が出ましたが、周囲がバリバリと働く中で帰宅する自分が情けなく、役立たずで、存在意義がないと思うようになりました。
当時のチームリーダーに鬱であることを打ち明けたものの、「俺、鬱ってよくわからないんだよね〜」と一蹴されました。仕事中は、「元気そうだね、もう大丈夫なんでしょ」「いつから戻れそう?」と頻繁に声をかけられ、どんどん追い詰められていきました。「早く元気にならないと班の一員として認められなくなる。早く役に立てるようにならないと迷惑をかける」と何度も自分に言い聞かせて、奮い立たせようとしました。主治医の許可もないのに、産業医に掛け合って勤務時間を伸ばして、上限ギリギリまで残業をして遅れを取り戻そうとしました。
そんな中、人伝いに「『今班員が1人欠けてて、仕事が回らなくて大変だ』って、チームリーダーが言ってたよ」と聞きました。
頑張ってたはずなのに、チームの一員としてカウントされていなかった。そう思って青ざめました。
「早く、早く戻らないと、役に立たないと…」、そればかり考えて、上司面談でも産業医面談でも「もう大丈夫です、宿直勤務もできます、早く戻してください」と空元気で返事をするようになりました。
勤務制限が緩和されて、宿直勤務に復帰することが決まった翌日。仕事帰りに一通のメールが届きました。チームリーダーからでした。
「もう元気になったって聞きました。今までは体調不良だからという理由で見逃してあげていたけれど、これまでのミスについてはしっかり反省してもらうし、今後厳しく指導していきます」そういった内容でした。
パニックで過呼吸になりました。ホームに立っていた私は「ああ、こうやって線路に飛び込みたくなるんだな」と咄嗟に思いました。
翌朝、布団からどう頑張っても起き上がることができませんでした。任されていた電話業務を布団の中で必死にやったものの、死にたくて消えたくてたまらなくなって、兄に助けを求めました。2017年の年末でした。
それから丸2年経とうとしています。
休職中に、鬱ではなく双極性障害だとわかり、薬を取っ替え引っ替えして、なんとか自分に合う薬を見つけたのが2019年の5月。躁転をしたり、断薬の離脱症状や橋本病の急性憎悪で寝たきりになった期間もありました。
どう考えても、休職期限に間に合わないことはわかっていました。なんとか抗おうと、診断書を書き換えてもらったり、労組に掛け合ったり奔走しましたが、産業医の一言にすっかり打ちのめされてしまって、退職を決めました。
「あなたにはこの仕事は無理だ」と言われた時は、悔しくて、自分が情けなくて、家で泣き叫びました。これまで何度もどん底を経験したつもりだったけれど、まだ底があるなんて、と思いました。退職してしまって、転職できる体調でもなくて、「もうこれ以上頑張れない、生きていけない」って、泣き続けました。
でも。
退職して間も無く4ヶ月。体調も安定してきて、睡眠薬も卒業できた今は、退職したのも悪くなかったのかな、と思うようになりました。
あの産業医の言葉は、正直言って「お前主治医でもないのによくそんなズケズケと言ってくれたな」って今でも思いますが、はっきり言ってくれたのはよかったのかもしれません。
復職しても、またあの激務に耐えられる自信はありませんでした。体を壊し続けてもしがみつきたい仕事だったかと言われると、そうじゃないよなって思う自分がいます。
今は、新しい資格取得を目指して勉強をしています。合格率のかなり厳しい資格で、正直一発合格はできないかもしれません。それでも勉強を始めて「ああ、私は勉強するのが好きだったんだ」って気づいた時、私にもできることがあるんだと思って、とても嬉しくなりました。
退職して、無職で、貯金もいつまで持つかわからないけれど、好きなことに気づけた今は、ここ数年で一番幸せな時間を過ごせている気がします。
病気にならないに越したことはないけれど、ターニングポイントを与えてくれたという意味では、病気に感謝しておこうかなと思います。